第1話 00.03.23
腹に、思い切り膝がめりこんだ。
思わず前のめりに崩れたところに、今度は首筋に手刀を叩き込まれる。
「―――私を襲おうなんて十年早い」
淡々とした声を聞きながら、ならば十年後なら許してもらえるんだろうかと、ちょっとずれたことを考えつつ、マイクロトフの意識は暗闇に飲み込まれていった。
マイクロトフは、去年十三歳で士官学校への入学を認められた。
マチルダ騎士団の居城、ロックアックス城に程近い場所にある士官学校は、騎士を目指す少年たちの学び舎だ。生徒たちはここで一般的な学問の他に騎士としての心得を叩き込まれる。
入学と同時に、従卒として正騎士たちの身の回りの世話を任せられるのも、卒業後少しでも早く城での生活に馴れるためだった。
士官学校に入学するための資格はいくつかあるが、それをクリアすれば、マチルダの出身である必要はない。現に他国からマチルダ騎士団に入団した者は多くいるのだ。
マイクロトフと同じ年に入学した中にも、生っ粋のマチルダ出身者ではない者が数名含まれていた。
その中のカミューという少年がいた。
カミューは、グラスランドの出身だった。詳しくは本人からも聞いていないが、何でもハルモニアの血筋も入っているらしい。整った白い顔と、印象的な琥珀の瞳、そして光を弾く金に近い明るい茶の髪をしていた。
その少女めいた容貌故に、なぜ彼のような者が士官学校へ進んだのかを訝しむ声が多かったと聞いている。
しかし、マイクロトフが彼に興味をひかれたのは、その外見のせいではなかった。訓練の中で見せつけられたカミューの剣の技、その素晴らしさに惚れ込んだのが最初である。
マイクロトフの父もやはり騎士であった。
戦場で命を落とした父の形見の剣ダンスニーを、彼は己の愛剣とすることを望んだが、躰のできていない少年にその剣は重すぎた。もっと躰を鍛え、剣技を学んでからだと親代わりの叔父に諭され、それ以後別の剣で稽古に励んでいたのだが、なぜか本人の努力のわりに進歩は見られなかった。
剣の腕は、同期の少年たちの中でも中の下。そんな自分を悔しく思っている時に、カミューの稽古を目にした。
素晴らしかった。重さを感じさせない動き、スピード。剣の冴え。指導にあたる正騎士さえもたじろがせる技に、純粋に感動した。
だから、マイクロトフはそれまで話をしたこともなかったカミューに対して、剣を教えてくれないかと頼み込んだのである。
結果は、一言で拒否された。
「―――無理だ」
あっさり、それだけを返されて、さすがにマイクロトフはむっとした。
「無理かどうか、やってみなくては…」
「質が違いすぎる」
続けられた言葉に、その意味がわからなくて眉を潜める。
「質?」
「身につけるべき剣の質だよ。私は、あまり力がないから軽くなる剣を補うために速さに頼っている。だがきみは逆の方がいい。多分、これから体も大きくなるだろうから」
じろじろと上から下まで眺めてそう言ったあと、カミューはマイクロトフが腰に下げた剣に目を遣った。
「その剣、きみが持つには細身すぎるんじゃないかな。もっと重い剣に今から馴れておいた方が良くないか?」
思いもかけぬ助言。マイクロトフはなるほどど納得して、叔父に父の形見をねだった。マイクロトフの熱心さと、剣の師の言葉だからとの説得に負け、叔父はダンスニーをマイクロトフに渡したが、まさかその剣の師というのが、甥っ子と一つしか年の違わない少年だと知ったら騙されたと怒ったかもしれない。
ダンスニーを手に入れてすぐに、マイクロトフはカミューにそれを見せに行った。これならどうだと誇らしげに言った彼に、また極端に大きな剣をと、笑ったカミューの綺麗な笑顔が印象的だった。
それからのマイクロトフは変わった。
躰が急激に成長し始めたこともあるだろうが、ダンスニーを扱うことに苦労せずにすむようになると、その剣さばきと一撃に込める力の強さに、誰もが構えを維持できなくなり膝をつく。気づけば同期の少年たちでマイクロトフの相手が務まる者はほんの数人になっていた。
もちろんカミューは、その数人の中でも一番の位置にある。そしてマイクロトフは、一度として彼に勝てたことはなかった。
悔しいとは思うが、当然という意識もあった。何しろカミューはマイクロトフの剣の師であったのだから。
あとになってそれを言うと、カミューはひどく複雑な顔をして「それはちょっと違うと思う」と呟いた。
剣を通してカミューと言葉を交わし、剣の稽古を通して彼と親しくなっていった。マイクロトフにとってカミューは、優れた剣技を持つ素晴らしい友人、そうした存在だった。
しかし、マイクロトフ以外の者の目には、カミューはまったく別の形に映っていたらしい。それを知って愕然としたのは、入学から半年あまりが経過した頃だった。
従卒としての仕事を終えて寄宿舎に戻ろうとした時、何か争うような声を聞いた。何だろうと思って角を曲がった時、マイクロトフは自分の目を疑った。
カミューが。
大切な友人が、数人の男たちに組み伏せられていたのである。
口を塞ぐ者、両手両足を押さえつける者、そしてカミューの上に乗りかかり、躰を押さえつけている者。いずれも赤の騎士服を纏う、若い正騎士たちだった。
「カミュー!」
思わず大声で叫ぶと、男たちは驚いたようにその顔をマイクロトフに向けた。
カミューはその隙をついて足の自由を取り戻し、のしかかる男の腹に下から蹴りを見舞った。
崩れる男を押しのけすばやく身を起こし、剣を抜き放つ。マイクロトフも駆け寄り、加勢するようにダンスニーを手にした。
真剣を前に男たちもさすがにひるんだらしく、小さく舌打ちをして、いまだうめいている仲間に手を貸しながらその場を離れていった。
その姿が完全に視界から消えてから、カミューはようやく剣を下ろし、大きく息を吐き出した。
「カミュー」
ぐらりと揺れた躰を慌てて支える。
「カミュー、大丈夫か」
「……ああ、何とか」
しりもちをついた彼の姿が改めて意識にのぼり、マイクロトフはドキリとした。
襟元を緩められ、白く細い肩と胸元が露わになっている。そしてその鎖骨のあたりに赤い跡がついていた。それが何であるかわからないまま、ただ強烈な色のコントラストとしてマイクロトフの目に焼きついた。
マイクロトフの視線に気づいたのだろう、カミューはすばやく襟元をかきあわせ、きつく唇を噛んだ。
「あの…今の…一体?」
実のところ、マイクロトフには状況が今一つ飲み込めていなかった。
最初は喧嘩だと思ったのだ。多勢に無勢でカミューがやられているのだと思い、それに加勢しようとした。
だがよく思い返してみると、カミューにのしかかっていた男は、友人の胸のあたりに顔を伏せていなかっただろうか。
そう、ちょうどあの赤い跡があったあたりに。それに、脱がされかかっていたような衣服も、何だか妙な気がする。
「ああ。ちょっと油断した」
厳しい顔つきでカミューがそれに応じる。
「今までも個別に言い寄られてたんだが、まさか結託して襲ってくるとは思わなかった」
「………え?」
答えの一部に、何か理解し難い単語があった気がするのだが…。
「い…言い寄られたっ?」
そのことと、目の前のカミューの姿が結びついた時、思わずマイクロトフは大声を上げてしまっていた。その声にびっくりしたようにカミューが目を見開く。
「そうだよ。従卒として城に入るようになってから、何度も口説かれていたんだ。だけどそんなものに応えるつもりはなかったから一応丁重に断っていたんだが、それが生意気だとか思われたらしい」
「だ、だって、カミューは男なのに…」
信じられなくてそう言いかけると、カミューは苦笑しながらマイクロトフを見上げてきた。
「みんながきみのようにまともな思考の持ち主なら、私の苦労もだいぶ減るんだけどね」
そしてゆっくりと立ち上がり、彼は服装を整えた。
「このこと、できれば黙っていてほしい」
カミューの要請に、素直に頷きかねた。
「泣き寝入りするのか? こんな不当なこと、そのままにしておいたら…」
「これ以上恥をかきたくない」
静かに返され、言葉を飲む。
確かに、城内で男に襲われかけたなんて醜聞もいいところだろう。それはわかる。だが、騎士にあるまじき行動をとったあの赤騎士たちをそのまま放置することも、マイクロトフには納得できなかった。それに、同じことが繰り返される危険だってある。
「大丈夫だよ。私は彼らの顔を覚えた。二度と捕まりはしないし、彼らの暴挙をそのまま許すつもりもない」
ただ…と続ける。
「いまだ士官学校の生徒の身じゃ、何もすることはできないけどね。だけどいずれ、それなりの力を身につけたら、かならず相応の礼はさせてもらう」
静かに微笑みなが紡がれる言葉は、しかし燃えるような琥珀の瞳故に、彼の怒りの強さをマイクロトフに伝えることになった。
マイクロトフはその言葉に頷き、カミューの希望を入れる代わりに、彼の傍を離れなくなった。
二度と大切な友人が理不尽な暴力に晒されることのないように、彼はカミューを守ることを決めたのである。
当時、カミューは十四歳だった。その彼が、まして同性に性的な欲望の対象にされたことは、マイクロトフには相当の衝撃だった。しかも彼の口ぶりからすると、それは一度や二度の話ではないらしい。
とても信じられなかった。確かにカミューの顔立ちは美しい。躰の線も細く、物腰も柔らかだ。しかし同時に彼は素晴らしい剣の腕を持つ強い男だった。その彼に、どうしてそんな、女性に対するような感情を持つことができるのだろうか。
マイクロトフにはいくら考えてもわからない。そしてカミューと行動を共にする内に、自分が考えていたよりはるかに多い人数が、カミューにそうした目を向けていることを知って更に驚いた。
その思いを素直に口にしたら、友人の一人に呆れられた。
「じゃあおまえ、カミューを見ていてまったく、一度たりとも妙な気分になったことはないのか?」
「妙な気分って?」
「だから、こう…触れてみたいとか、抱きしめてみたいとか」
「ない」
即答したら、変な奴だと言われてしまった。変なのはどっちだと、マイクロトフは怒った。
「カミューは男だぞ? しかも俺たちの誰一人、カミューに剣でかなわないじゃないか。そんなカミューにどうして…」
「おまえ、目が悪い?」
「両目ともすごくいい」
「カミューは美人だろう?」
「それは認める。だがそれとこれとは」
「同じなんだけど…ま、おまえはそれでいいさ」
せっかくカミューに一番近い場所にいるのに、もったいないなと言った友人の、しかし「一番近い場所」の方にマイクロトフは反応した。
周囲がそう認めてくれるほど、いつのまにかカミューとマイクロトフは親しくなっていたのである。
マイクロトフにとってカミューは大切な友人だった。誰にでも誇れる素晴らしい男だと思っていた。
そうした思いに変化が生じたのは、今年に入ってからだった。
第2話 00.03.25
士官学校の一年目、生徒たちは四人部屋に放り込まれる。そして二年目には二人部屋に移される。専門の学科が増え、寄宿舎においても勉学に費やすべき時間が増えるための配慮らしい。その中で偶然にもマイクロトフはカミューと同室になった。
マイクロトフとしては単純に喜んでいたのだが、カミューはなぜかもっと嬉しそうだった。
理由を聞いたら、
「これで夜も安心して眠れそうだ」
そんな答えが返って愕然とした。
もしかして、今までは夜もおちおち眠ってられない状況だったということか?
思わず眉を潜めるマイクロトフに、「別に何かされかかったわけじゃない」とカミューは肩を竦めた。
「ただ、赤くなってチラチラとこちらの様子を窺っているような奴等の前で、寛げると思うか? 一度なんか寝顔をじーっと見つめられてたこともあるんだ。…正直、着替えにさえ神経を使っていた」
眩暈がした。
相部屋ではある程度やむをえないことかもしれないが、自室でまったく気を抜けないというのは、かなりしんどいことではないだろうか。
わからない、なぜカミューがそんな理不尽な目に遭わなければならないのだろう。本当にわからなくて険しく眉を顰めた彼であったのだが。
変化は突然やってきた。
ある夜、同期の一人が夜カミューを訪ねてきたのだ。
ゼファというその少年は、カミューと同じくマチルダの出身ではない。異邦人同士という親近感があるのか、カミューも親しくつきあっている相手だった。
深刻な表情で「話がある」と言ってきたゼファに、カミューは彼を誘って寄宿舎の外にむかった。
それをこっそり追いかけたのはなぜだったのか。
茂みに隠れ、裏庭で話をする二人を盗み見る。
カミューは顔を伏せるようにして、ゼファの話を黙って聞いていた。その内容までは聞き取れなかったが、ゼファの真剣な表情と、その視線が向けられる先のカミューの静かな表情は、月明かりに鮮明だった。
無言のカミューに対してしばらく話を続けていたゼファは、突然言葉を詰まらせ、顔を歪めた。
―――カミュー…。
唇の動きで、彼が友人の名を呼んだことを知る。
その呼びかけにようやく顔を上げたカミューの、その表情にマイクロトフはドキリとした。
わずかに眉を寄せ、何か言いかけるように唇を開く。切なさを乗せた眼差しは、今までマイクロトフが見たことのないものだった。
その眼差しの先にいる少年が、不意に手をのばした。
カミューの肩に触れた手が、ゆっくりと背に回る。
石造りの壁に押しつけられるようにして、カミューはゼファに抱きしめられた。
カミューの肩に顔を伏せ、ゼファはそのまま動かない。そんな彼の髪をくしゃりと掴みながら、カミューは何かを囁いたようだった。
そのまま動かない二人に、マイクロトフもまた動くことができずにいた。
ただ、心臓が痛いほどに激しく脈打っていた。
どれくらいそうしていたか、不意に二人の抱擁はほどかれ、そのことにマイクロトフは我に返った。慌てて部屋に駆け戻り、ベッドに飛び込む。
それから程なくしてカミューは戻ってきた。きっとあれからすぐにゼファと別れたのであろう。
マイクロトフが眠っていると思ったのか、カミューは室の明かりをつけようともせず、窓際に歩み寄ってしばらくそこに立ち尽くしていた。
その気配を、身動き一つできないまま、マイクロトフは全身で感じ取っていた。
翌朝、マイクロトフはゼファが士官学校を去ったことを知った。家の事情としか聞かされなかったが、通達にカミューはそっと目を伏せた。
「ゆうべは、じゃあ…?」
カミューに問いかけると、彼は静かに頷いた。
「ああ。別れを告げに来てくれたんだ」
でもなぜ、カミューにだけ?
同じ異郷に暮らす者同士だから?
あの場の雰囲気は、とてもそれだけとは思えなかった。
カミューとそうした空気を共有した相手が消えてくれたことを、マイクロトフは心底喜んだ。それが嫉妬から出た感情だと、その時はまだ気づけなかったのだが。
ただ、それからのカミューを見る目には、何か変化が生まれてしまった気がする。
カミューの噂がやたらと気になるようになった。その姿が見えないと目で探し、一瞬たりとも離れていたくないとばかりに傍にいる。そしてカミューに近づこうとする者を威嚇する彼の様子は、番犬役として傍らに在った時とは微妙に違うものだった。
カミュー自身、そのことに戸惑い、マイクロトフに「どっか変だぞ?」と心配するように髪を引っ張ったりしてきた。
そんな風に触れてくる指になぜ自分が動揺するのか、マイクロトフはまた気づくことができなかった。
―――あの夢を見るまでは。
夢は唐突に訪れた。
その場所がどこなのか、最初はわからなかった。見馴れたような、そうでないような…。
ただ、目の前に立つカミューの姿だけが鮮明だった。
彼はうつむいていた。石造りの壁に背をつけるようにして。
―――カミュー…。
呼びかけた声に、その顔が持ち上がる。
ドキリとした。
憂いを含んだ眼差しが、マイクロトフを見つめてきたのだ。
物言いたげに開かれた唇、訴えかけるような琥珀の瞳。その瞳にじっと見つめられる内に、衝動が込み上げた。
触れたいというその欲求のままに、頬に手をのばす。身じろぎもせずマイクロトフの接触を受け入れたカミューの、なめらかな頬の感触に肌が粟立つ感覚があった。
その馴れない感覚が、次に熱さに変わり、マイクロトフはそのままカミューの躰を抱きしめていた。細い背が腕の中でしなり、抗うように身をよじるのを逃がさないとばかりに強く抱き竦めた次の瞬間、場面が変わっていた。
カミューが嫌悪も露わに眉を寄せ、マイクロトフを睨んでいた。その口を塞ぎ言葉と呼吸を奪っているのが自分の手だということに一瞬呆気にとられる。
だが、開かれたカミューの胸元に赤い跡を見た時、何かがマイクロトフの内で膨れ上がった。
許せないと、そう思ったのだ。
カミューが蹂躪されたことではない。誰が付けたか知らない跡が、彼の上にあることがだ。
マイクロトフは獣のようなうなり声を上げて、白い胸に口づけを散らしていた。
途端、焼けつくような痛みがあり、そして、マイクロトフは目覚めた。
闇の中で目を見開き、彼は荒い息を繰り返した。ひどく混乱し、自分がベッドに身を横たえていることも最初は意識にのぼらなかった。
生々しいほどにリアルな、それが夢だったのだと気づいた時、マイクロトフは深くため息をついていた。
のろのろと上体を起こす。そのまま隣のベッドを見れば、夜の明けきらぬ薄闇の中、カミューが静かに寝息をたてていた。
夢の中の光景が、かつて自分が目撃した場面であったことを、マイクロトフは苦く思い出した。カミューと対峙していた相手を自分に置き換えて夢の中に再現したそれは、最近自分の身に起きた変化が何であったかを彼に知らしめた。
以前、友人に訊かれた。
カミューに触れたくないか、抱きしめたくならないかと。
即答で否定したはずの自分が見た夢は、答えを裏切るものだった。
困惑し、怒り、眉をしかめた男たちと同じ感情を、自分もまたカミューに対して抱いてしまったのだ。
下着の濡れた感触に泣きたいほどの情けなさを感じてため息をついた時、隣でカミューがわずかに身じろぎをした。
「……ん…」
微かに洩れた声に、そして夜着のあいだから垣間見えた鎖骨の窪みに、マイクロトフは全身を硬直させた。躰の奥にまだくすぶっていた炎が一気に煽られる。
―――うわ、やばいっ。
マイクロトフは慌てて布団を頭からひっかぶった。
しかしそれでも、目に焼きついた白い肌は消えてはくれず、その人の確かな存在も、背を向けた方向から感じ取ってしまい…。
結果としてマイクロトフは、すーすーと健康的に洩れる寝息を聞きながら、不健全な行為に走ることになった。
翌朝、彼が最悪の気分だったことは言うまでもない。
第3話 00.03.26
マイクロトフは落ち込んだ。本当に、十四年生きてきた中で初めてというほど、どんぞこまで気分が滅入った。
最良の友人であったはずの人に抱いてしまった想い。欲望を伴うそれは、マイクロトフとカミューのこれまでの友情を裏切るものであり、マイクロトフの信条を根底から覆すものだった。
受け入れ難い…そう思う。自分もだが、カミューもそうだろう。
自分に言い寄る男たちを嫌い、マイクロトフだけは違うと信頼の笑顔を見せてくれるカミューである。彼までが友情を恋情に変化させたことを知ったら、何と言うだろう。
しかし、一度気づいてしまった想いは、今更消し去ることもかなわず、またマイクロトフの性格上、隠しておけるものでもなかった。
故に、彼はカミューに告白したのである。
夜、机にむかっていた彼を振り返らせての突然の告白だった。
「……………正気か?」
好きだと告げたマイクロトフに、椅子ごと振り返り、カミューはそう問い返してきた。
本気かではなく正気かと問うあたりに、彼の心情が表われている気がした。だが、否定も撤回もできない。
「ああ」
きっぱりと頷くと、ものすごく嫌な顔をされた。
「何度も言っていたと思うけど、男に告白されてもちっとも嬉しくない」
「…だろうな」
「おまえだって」
きっと睨み上げる。
「私がそれを言うと、いつも「当然だ」と言っていたじゃないか」
そのおまえがなぜと、非難を込めた眼差しに見つめられ、マイクロトフはすまない気持ちでいっぱいになった。
しかし、その時とは自分の感情がまるで変わってしまったのである。
「カミューの気持ちはわかる。わかるけど、でも俺は本当にカミューが好きなんだ。…好きだったんだと気づいてしまった」
「勝手なことを言うな」
吐き捨てるように言って、カミューは椅子を立つとマイクロトフの横を摺り抜けようとした。
その腕をとっさに掴んで。
マイクロトフはカミューを抱き竦めていたのだ。
ふわりと、柔らかな髪が頬に触れた。その髪から微かに薫る香りと、腕にした躰の確かに質感に一気に体温が上がる。
そのまま、マイクロトフは抱擁を強め、カミューの首筋に顔を埋めた。
自分でも意外だった行動に、しかし馴れたものであるらしいカミューは冷静だった。物言わぬまま彼は拳をマイクロトフの鳩尾に叩き込み、身を折ったところに更に膝をめりこませ、とどめとばかりに手刀を首筋に落としたのである。
「私を襲おうなんて十年早い」
冷たい声音がマイクロトフの霞んだ思考に残された。
カミューは十三歳の時に独立した。
家長である父に、二者択一を迫られたのである。
彼らの一族は、長子が家を継ぐ。第一子が女子であった場合は婿養子がとられ、二番目以降の子供は、兄姉の下で彼らと共に家を支えるか、あるいは独立かを選ばなければならないのだ。
カミューは独立を選んだ。その際、ついでにグラスランドさえも離れようと心に決めたのは、ハルモニアからこの地に流れ着いた祖父に聞かされていた、外の世界に興味を持っていたからだ。
特に、勇壮で義に篤く礼節を重んじるというマチルダ騎士団の話に、カミューはまだ見ぬ騎士というものに憧れを抱いていた。
祖父は、そんな孫の願いを叶えようと、紹介状をしたため彼に渡してくれた。
まだ十三歳の息子が故郷を離れるということに、母は多少難しい顔をしたが、父は喜んでいたようだった。安易な安定を求めようとしない姿勢を評価したのかもしれない。
そんなわけでカミューはキャラバンに職を求め、共にグラスランドを旅立った。
祖父がどんなつてを持っていたのか、カミューの士官学校入学はすんなり認められた。後見には紹介状を最初に渡すことになった、元赤騎士団に所属したという老人がついてくれ、彼の元でカミューはすべての準備を整えた。
剣技と馬術については自信があった。グラスランドの民は赤子の時から馬に馴染む。カミューも幼い頃から馬の扱いは馴れていた。
剣もまた、祖父と父に叩き込まれている。身を守るため、生きるために必要な、それは技術だった。
もっとも、騎士になるためにはそれだけでは不足だとかで、カミューは後見の老人に、言葉遣いや作法の矯正を受けた。それも騎士として必要ならばと、苦にはならなかったカミューである。
そうして憧れの騎士団への第一歩を踏み出したカミューは、しかしそこで、思いもよらない扱いを受けることになった。
第4話 00.03.28
自分の顔立ちが、少女めいた整い方をしているというのは、何となく認識していた。そしてグラスランドには多い、鞭のようにしなやかで強靭な躰が、このマチルダの、しっかりとした骨格を持つ少年たちのあいだではいかにも華奢で異質だということも。
しかし、だからといって自分が男から言い寄られるとは想像もしていなかった。
最初は物好きな連中がいるものだと呆れながら「申しわけないが…」とお断りしていたが、その内実力行使に出る馬鹿まで現れた。
騎士の礼節はどうしたと、何度叫びたくなったことか。
身の危険を回避することになぜにこんなに神経を使わなければならないのか。果たして自分は本当にここでやっていけるのか。暗澹たる気持ちになりかけた時、カミューはマイクロトフと知り合ったのだ。
意志の強そうな漆黒の瞳でまっすぐに自分を見つめ、しっかりとした足どりでやってくる少年を見た時に、またいつもの告白とかいうやつかと、カミューは正直うんざりした。
しかし、カミューの前に立ったその少年は、深々と頭を下げて、こう言ったのだ。
「俺に剣を教えてください」
言われて、その少年が先の稽古でぼろぼろになっていたことを思い出した。力任せに彼が振り回す剣は、結果的に隙を作り、いいように相手に手玉に取られてしまうのである。
カミューは自分の剣が少年を惹きつけ、こうして指導を頼まれたということに気をよくした。
だが、目の前の少年は明らかに自分とは違う躰の造りをしている。多分、自分と同じような剣を使うことはできないだろう。だからそれを告げ、少しばかりの助言を与えた。
少年はそれを喜び、翌週には自慢げに大剣をカミューに見せにやってきた。
その全開の笑顔が子供っぽくて笑えて、だからカミューも微笑み返していた。
それが、マイクロトフだったのだ。
彼はそれからもカミューに纏わりついて剣の指導を求めてきた。それまでとは違う重い剣は、しかしマイクロトフに彼独自の剣の型を与え、それは彼にしっくりと合うものだったらしく、その後の剣の上達は速かった。
それでも、まだカミューにはかなわない。それを悔しがるでもなく、むしろ嬉しそうに何度も勝負を挑んでくる彼に、これまで自分に対して妙な意識を抱く相手とはまったく違う「友人」としての扱いに、カミューはとても気分が良かった。
偶然カミューが襲われている場面に遭遇し、それを救ってくれた時も、彼はカミューが置かれた状況に本気で腹を立ててくれた。それもまたカミューにはとても嬉しいことだったのだ。
初めて、純粋に友情で結ばれた相手だと思った。
気性の波が激しく、まじめすぎて融通の利かない、要領の悪い奴。単純で間抜けで、だが他人のために心底怒ることのできる、とても純粋で熱い心を持つマイクロトフ。
そんな彼に、最初は呆れた。だが気がつくと、カミューが心を開ける、飾ることもなく本音を晒せる唯一の相手に彼はなっていたのである。
なのに。
なのになのに。
―――こいつまで。
悔しさに、カミューは唇を噛んだ。
信じていたのに、何で今になって「好きだ」なんて口にするんだ。
おまえまで、私をそんな目でしか見ないのか?
私にはそれだけの価値しかないのか?
友情を育むに値しない相手なのか?
ずるずると崩れ落ちる躰を冷ややかに見下ろし、カミューは息が荒くなるのを抑えながら吐き出した。
歪む視界に、自分が涙を浮かべていることを知り、いっそう不快げに顔を顰める。
自分で考えているよりはるかに深く、マイクロトフを信頼していたことを知って。彼の友情を心地好く受け入れていたことを知って。
「……馬鹿野郎が」
裏切られた今、それはむしろ激しい怒りと嫌悪に結びつく。
見下ろした少年は、うつぶせに倒れたまま、ぴくりとも動かなかった。
まったく防御できなかったようだから、おそらく朝まで気がつくことはないだろう。自業自得だ。
しかし、晒された横顔は不本意に気絶させられたとは思えないような呑気さで、ただ寝ているだけのようにも見えた。
そのことに、またもやムカッとくるものがあった。
思わず、カミューはもう一つ黒い頭を蹴飛ばして、それからベッドに潜り込んだ。
そのまましばらく動かずにいたが、やがてむくりと躰を起こし、ため息を一つつく。そしてカミューは、ベッドを下りるとマイクロトフの上に毛布をかけてやった。
その際、ついでにマイクロトフの腕を後ろ手に縛り上げたのは、安眠を得るための当然の措置だった。
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