第1話 00.05.24
リスターの行方を探すことは、アーサーにとって難しいことではなかった。
一人の方が目立たない、小回りがきく、実際にリスターを見つけた時に説得がしやすい…等々の理由をあげて、アーサーは単独で元青騎士団副長を追う旨を告げた。
そうして彼が真っ先にむかったのが、ロックアックスから西に位置するとある村である。リスターの乳母が、屋敷での務めを終えたあと、生まれ故郷であるその村に戻ったとアーサーは聞いていた。
リスターにはすでに両親がない。その乳母は、今となっては彼にとってただ一人の身内のようなものだ。もっとも、その事実を知るのは、おそらくアーサー一人であったろうが。
調べたところ、リスターの屋敷はすでに処分されていた。ロックアックスに戻る意志はないということだろう。あるいはこのまま身一つで旅に出るのだとしても、その乳母のところにはかならず顔を出すはずだとアーサーは踏んだのである。
急がなければならない。リスターも、自分が騎士団から追われる可能性は考えているだろう。乳母や村人に迷惑をかけないためにも、顔を見せたあとすぐに出立してしまう危険もある。そうなる前に捕まえなければならない。
しかし―――。
焦るアーサーの思いとは裏腹に、傷心のリスターの足取りは重いものだったらしい。いや、それは、目立たぬようにと裏街道を使った結果だったのかもしれないが、本街道を馬で飛ばし続けたアーサーよりも、リスターの方が村への到着が遅かったのである。
村で探し出したリスターの乳母に、
「坊ちゃんとはもう長いこと会ってはいませんよ。ああ…どうしてらっしゃるでしょうねぇ」
などと懐かしそうに言われた時には、アーサーは自分の読みが違ったかと相当慌てたのだ。しかし、彼女が愛しそうにリスターの思い出話を語るのを聞くにつけ、やはり彼がこの乳母に別れを告げずに旅立つ可能性は低いように思われた。
ならば、どういうことになるか。
考えられるのは、彼がまだここに到着していないということ。
「……途中で追い抜いてしまったということか?」
双方の間抜けぶりにちょっと呆れてしまう。
そしてアーサーの予想通り、その翌日になって、リスターはようやく村の入り口に姿を見せたのである。
「…………アーサー?」
道の真ん中に立つ赤騎士団長の姿を見つけ、元青騎士団副長は茫然とその名を呼んだ。
夢、幻かと疑うような惚けた顔つきに、アーサーが小さく舌打ちする。
そして彼は、馬を下りた親友につかつかと歩み寄り、物言わぬままその後頭部を張り倒したのである。
「………痛い」
「良かったな。これが現実だとわかったろう。…まったく、どうしておまえを追いかけていた私の方がおまえを迎えなければならないんだ。おかしいじゃないか」
のろのろと叩かれた場所に手をのばすリスターを、睨むようにして言ってやる。それでも、リスターの茫とした表情は変わらなかった。
よほどこの事態に衝撃を受けているらしい。
そんな彼の胸ぐらを掴み、引き寄せる。
「私相手にやり逃げとは大した度胸じゃないか。勝手に自己完結して逃走して、それですべてが解決するとでも思っているのか、おまえ?」
青褐色の瞳を見据えて言ってやると、リスターは短く息を飲み、そしてようやく表情を引き締めた。
その瞳に、沈痛な色が宿る。
「私を…処断しにきたか? ……それもいい。おまえにはその権利が―――」
リスターの言葉が途切れたのは、アーサーがふたたびリスターの頭を殴りつけたためである。
「誰がそんなことを言った、馬鹿者」
「……アーサー?」
頭を押さえながら、リスターが困惑の声を上げる。
アーサーの乱暴は今に始まったことではないが、状況が状況である。リスターにはアーサーの行動の真意をはかる術がなかった。
「なぜ…おまえがここにいるんだ?」
今更な問いかけに、アーサーは腕を組んでリスターを見遣った。
「決まっているだろう、おまえを捕らえにきた」
「捕らえに?」
「そうだ。許しもなく騎士団を脱走した馬鹿者を連れ戻すためにな」
「なぜ、それをおまえが?」
リスターも追っ手をかけられることは予想していたのだろう。ただ彼は、それがアーサーだったことに困惑しているのである。
「私がもっとも適任だからさ」
「………」
複雑な面持ちで、リスターは黙り込む。そんな彼に、アーサーは顎をしゃくった。
「とりあえず、村の中へ。こんなところで話し込んでいては目立つ」
「……ああ」
頷き、馬を引きながらリスターはアーサーについて歩き出した。
アーサーがまずむかった先は、リスターの乳母の家である。そこで乳母との対面をすませたリスターをつれて、次に村の外れにある一軒家に入る。
そこは、宿屋などの施設がないこの村で、旅人を迎えるために用意された家なのだという。リスターの乳母が管理人を務めるそこに、アーサーは昨夜宿泊させてもらったのである。
「……何を突っ立っている? 座ったらどうだ」
先にドアをくぐり、中央の卓についたアーサーがリスターを促す。だがリスターはその場で動きを止めたまま、中に入ろうとはしなかった。
「リスター?」
「……アーサー」
声が硬い。
「なぜ……おまえがここにいるんだ?」
改めて問うてきたリスターを、アーサーは紫紺の瞳で見据えた。
「わからないか、リスター?」
「……わからない」
「じゃあ、そのあたりを説明してやるから、とにかく中へ入れ」
「……」
それでも、リスターは動かない。
「おい、リスター」
「…話なら、ここで聞く」
「何だって?」
「私には…もう、おまえと同席する資格はない」
悲痛な表情で告げられた言葉に、アーサーは呆気に取られたように口を開いた。
その口から、次に大きなため息がこぼれる。
「そんな風に後悔して自分を追い込むくらいなら、最初からあんな真似をしなければ良かったんだ、馬鹿」
「……ああ……そうだな」
自嘲の響きが強い声に、アーサーはもう一度ため息をつき、そして椅子を立った。
そのままリスターの前に立ち、ぐいと、首に腕をかけて引き寄せる。
驚いたように見開かれた青褐色の瞳に悪戯っぽく笑いかけながら、アーサーはリスターに口づけた。
「―――っ」
弾かれたように身を離すリスターに軽く舌を出して見せ、
「無理矢理という点ではこれであいこだ」
「ア……」
「とにかく入れ。大男に突っ立っていられるとうっとおしい」
リスターの手を取り、卓にむかう。まだ衝撃から脱することができないらしいリスターは、今度は素直に従い、アーサーの斜め向かいの席に腰を下ろした。
そのまま、茫然とアーサーの顔を見つめる。
そして、のろのろと自分の唇に指先で触れたリスターは、そこでようやく正気に返ったようにガタンと椅子を鳴らしてひっくり返りそうになった。
第2話 00.05.27
「……今更キスくらいで動揺するなよ。それ以上のことを人にしておいて」
「そ…それは…いや、だが……」
呆れるアーサーの前でリスターは派手に顔を赤くした。よもや、アーサーからキスを仕掛けられるなどとは考えたこともなかったのであろう。何しろ、卑劣な手段で陵辱したに等しい相手だ。親友であったはずの男の裏切りに、アーサーが彼を赦すことは一生ないと思っていたのかもしれない。
そんなリスターの様子に、こいつでもこんな風に動揺することがあるんだなぁと、アーサーは暢気にそんなことを考えていた。
リスターというのは、纏う騎士服の色のように、冷静沈着で物事に動じない男だった。感情の起伏が激しいアーサーとは対照的に、彼はどんな事態においても、顔色を変えることさえ稀であったのだ。
そのリスターが、何度かうろたえた様子を見せたことがある。
少年の頃、アーサーが剣の勝負を挑んで破れ、地面に頭を打って昏倒した時。その後のつきあいの中でアーサーが無茶をした時。そして、彼に想いを打ち明けてのあと…。
そのすべてが、自分が絡んだ時だと改めて気づいて、アーサーは苦笑した。
何のことはない。リスターはあの少年の頃から、全身で訴えていたようなものなのだ。アーサーだけが特別なのだと。
アーサーだけが、その心に、感情に深く関わることが許されるのだと。
気づかずにいた自分が、あまりにも鈍かったのだろう。
「リスター」
名を呼ぶと、アーサーの親友は口元を引き締めて彼を見返してきた。
「…何だ、アーサー」
「正直に言え。いつから、私のことを愛していた?」
アーサーの問いかけに、リスターは微妙な表情を見せた。
「それは…」
「正直に答えろ。いつから私を抱きたいと思っていた?」
重ねて問われ、青褐色の瞳が伏せられる。
「………一目惚れだった」
リスターの答えは、アーサーを納得させ、そして満足させるものだった。自分の感じたことは、それでは正しかったらしい。
あの日、必死の顔で気を失ったアーサーを覗き込んでいたリスター。彼はその時すでに、アーサーへの恋心を抱いていたのだ。
そして、彼はそのまま変わらずにいた。
そうだ。変化したのではない。彼は変わっていなかった。あの少年の日から実に十年近い歳月、リスターは変わらぬアーサーへの想いを胸に生きてきたのだ。
「……大した自制心だ。称賛に値するな」
思わず呟いたアーサーを、戸惑うようにリスターは見遣った。
「…怒らないのか?」
「そういう段階は越えたな。むしろ呆れている」
「………」
「ああ、誤解するなよ。呆れているのは自分に対してでもあるんだ」
「…え?」
リスターの眉が寄る。
そんな表情をすると、男らしい顔立ちがやや幼く見えてアーサーは微笑った。
「今にして思えば、おまえはあからさまなくらい私への想いを明らかにしていたのに、それにまったく気づくことのなかった自分自身にさ」
「…アーサー」
「おまえの傍が、居心地良かったせいかな」
「……」
「すまない、リスター」
謝罪の言葉に、リスターは目を見開いた。
「なぜ、おまえが謝る?」
「長いこと、おまえ一人を苦しめていた」
「それは…おまえが謝ることではない。私が勝手におまえに妄執を抱いたことが…」
「リスター」
言いかけるリスターを遮る。
「私を疎外するな」
「―――っ」
思いがけぬ言葉だったのだろう、リスターが言葉を飲む。
「おまえの想いは私に向けられたものだろう? ならば私に関わりがあることだ。私も共に考えなければならないことだ。違うか?」
「……アーサー」
「もっと早くに言えば良かったんだ。そうすれば、私にも考える時間があったろうに。おまえだって、あんな馬鹿な真似をしでかさずにすんだかもしれないのに」
「………」
馬鹿な真似―――。その言葉に過剰に反応して、リスターは顔を引き歪める。
そんなリスターの表情を見て、アーサーはかぶりを振った。
「私に対してのことじゃないぞ? カミューを巻き込んでしまったことの方だ」
そちらの方が罪が重いとアーサーが言うと、リスターは痛みを感じさせる瞳で唇を噛んだ。
「……ああ、そうだな」
吐息のように言葉を吐き出す。
「確かに私は…あの子に対して酷い仕打ちをしてしまった」
「うん。だが…悔やんだところで今更してしまったことをなかったことにはできないから、これからのことを考えよう」
「…これから?」
「そうだ、リスター。私たちの、これからを」
「………アーサー?」
訝しむように、リスターは呼びかける。アーサーの言わんとすることは彼の理解の範疇外だったらしい。
「なぜ……おまえはここにいるんだ?」
そして改めて口にされた問いかけ。
リスターはアーサーを自分の執着から解放するために、彼の傍を離れることを決意した。
―――おまえなど、消えてしまえばいい。
アーサーの、その望みを叶えるために。なのに、リスターを全身で拒絶したはずのアーサーがここにいる。リスターを追って。
その真意が、リスターには掴めないらしい。
強張った面持ちで答えを待つリスターに、アーサーは微笑んだ。
「決まっているだろう、親友を取り戻すためさ」
あっさりと言い切ったアーサーを、リスターは苦しげに見つめた。
「……アーサー、それは…無理だ」
押し殺した声に苦痛が滲んだ。
「友には…戻れない。私は……私の醜い欲望は、もう抑えられるものではない」
やめろと、声がする。それを告げて、いっそう強くアーサーを傷つけるのか。明らかにすることで、更に彼を汚すのか。
だが、アーサーに理解させるには、すべてを吐き出すしかないだろう。
「おまえを…卑怯な追い込み方をして…抱いた。許されることではないと思っている。だが私は…私はあの瞬間、おまえを腕に抱き…歓喜した。ようやく手に入れられたと。それがおまえをどれほど苦しめることか知りながら、私は…」
「……」
「最低な男だ。おまえの友と名乗る資格はない。そして、友の位置に戻ることも不可能だ」
「……」
「…アーサー、早く…私の前から消えることだ。でないと私は、あの夜のように無理矢理にでもおまえを手に入れようとするかもしれない」
リスターが語る言葉を、アーサーは無言のままで聞いていた。
そして、
「いいや、リスター」
静かな口調で彼は言った。
「おまえには、力ずくで私をどうこうするなどできやしないよ」
「…アーサー」
「あの夜のことは、私を怒らせるための行動だったんだろう? 私から、あの一言を引き出すための」
「それは…」
「初めて私を抱いて歓喜したって? 当然だろう。九年間もお預けを食らっていたんなら、ようやくありつけた餌を貪っても誰も責めたりはしないだろうさ」
「……犬の食事じゃないんだぞ」
あまりに気楽なアーサーの言葉に、思わず呟いてしまう。
その表現が可笑しかったのか、アーサーは身を折って笑い出した。
「似たようなもんじゃないか」
……そうだろうか。
思わず真剣に考えこみかけたリスターは、何やら和んでしまっている空気に戸惑った。
その空気を醸し出しているのはアーサーである。
彼は、リスターの裏切りに遭う以前の彼に戻っていた。
戸惑い、恐れ、嫌悪、憎悪…。リスターが想いを告げた日以来明らかに彼に向けられていたそうした感情が、今のアーサーからは抜け落ちている。
それを思い出させようとリスターが口にする言葉のすべてを、彼は取るに足らないことだと言いたげに軽く受け流しているのだ。
なぜだろう。
何が、彼を変えたのだろう。
「アーサー」
困惑の表れた声と表情に、アーサーはふと表情を改めた。
「あの夜のことを詫びる必要はない。あのことがなかったら、私はいまだに気づけずにいたかもしれないから」
リスターの暴挙に、アーサーが何に気づいたというのだろう。その先を促すように見つめる。それに答え、アーサーは静かに告げた。
「リスター、おまえは私を愛していたという。出会いの時から変わらずに。私はそんなおまえを親友と呼んだ。その意味がわかるか?」
「……いや」
「私を愛するという感情ごと、おまえは私の親友だということだ」
「……?」
わからない。
「すまん…アーサー、意味が……」
「鈍いなぁ」
呟いて、アーサーが椅子から腰を浮かす。
間近に先刻と同じように顔が近づき、そして唇が塞がれていた。
今のところ完璧年長赤さんペース。逆転するのはいつだ(笑)
第3話 00.06.01
二度目のアーサーからの口づけに驚愕し、しかしやはり二度目だからか先よりは冷静にその唇の感触を確かめることができた。
触れるだけの軽い口づけ。
それでも、触れた唇は甘く、そして泣きたいほどの切なさを生んだ。
―――愛している。
どれほどこの存在を愛しいと思っているか…。
つんと鼻の奥が痛くなるような感覚があった。目を閉じ、口づけを受け入れながら、リスターは幸福感と悲哀の入り交じった複雑な心境に陥った。
やがて、唇が離れる。
開いた目に、間近で笑む親友の顔が映った。
「わかるか、リスター? 私はおまえにキスすることに何の嫌悪も感じていない」
「……アーサー」
「おまえは変わっていない。私を愛しながら私と共に生きてきた、おまえは変わらぬ私の親友だ。これからもそれは変わらない。ただ…」
微笑が深まる。
「私が変わった。おまえの心を知ることで、私のおまえに抱く想いが変わった。……いや、本質的には変わっていないのかもしれない。気づいたというだけで」
さっきもアーサーは言った。ようやく気づくことができたと。
彼は一体何に気づいたというのか。
「私は…おまえを好いている。友として…そう思っていたが、あるいはそれだけではなかったのかもしれない。でなければ、こんな風にキスはできないだろうな」
そう言ってふたたびリスターにキスをして、それからアーサーは椅子に戻った。
アーサーの言った意味を理解できず、リスターはふたたび茫然とする。
「それは…一体…」
「いい加減気づけ、馬鹿」
くすくすとアーサーは笑い、そして、
「おまえの想いを受け入れてやる、そう言ってるんだ」
尊大に、そう言い放った。
「………正気か?」
思わず問い返してしまったリスターに、アーサーは意外そうな顔をした。
「何だ、嬉しくないのか?」
「アーサー」
彼の言葉をどう受け止めるべきか、リスターには判断をつけかねていた。それが本当のことであるのなら、嬉しくないはずはない。だが違うと声がする。アーサーが、誇り高い彼が、そんなことを認めるはずはないのだ。
「軽はずみなことを口にしない方がいい、アーサー」
「軽はずみ? そうかな」
「私に同情したにしても…」
言いかけた途端、まるでそれを予期していたとでもいうようなタイミングで、スパンと平手が飛んでくる。
後頭部を殴られ思わず舌を噛みそうになりながら、リスターはアーサーを見た。
「言うだろうと思った。本当にわかりやすい男だな、おまえは」
「……アーサー」
頭を押さえたまま戸惑うように名を呼ぶリスターを見据えて、アーサーは少し表情を改めた。
「一度しか言わないからよく聞いていろ」
まっすぐに見つめる紫紺の瞳。その美しさに目を奪われる。リスターにとってそれは見飽きることのない何にも勝る輝きだった。
その輝きでリスターを捉えたまま、アーサーはゆっくりと言った。
「私は、おまえを失えない」
「―――っ」
「私はおまえに裏切られたと感じた。だから、おまえを憎もうとも忘れようともした。だが…できなかった。私はやはりおまえの傍らにいたい。そのために必要ならば、躰だってくれてやる。同情じゃない。私が私のためにそうしたいと思ったことだ」
それは正しいことではない、リスターはそう思った。だからかぶりを振り、諭すようにこう言った。
「もっと自分を大事にしろ、アーサー。私を得るために自らを差し出すなど、そんな考えはおまえらしくない」
「かもしれない」
素直に認め、アーサーは続けた。
「だがリスター、わからないか? 私はそんな自分らしくない行動に出てまでも、おまえを欲しいと思っている」
真摯な、その瞳。
「そうだ。私はおまえが欲しい。私を愛するおまえを、これからもずっと私に縛りつけておきたい」
「………アーサー」
「おまえは?」
囁くような問い。
「おまえは私が欲しくないのか?」
その問いかけはリスターの内に怒りを生んだ。
今更何を問いかけるのだ。
自分が何をされたのか、彼はもう忘れたというのか?
その身にとってリスターがいかに危険な存在であるかを。
リスターがどれほどの決意でその傍を離れたか―――。
「……おまえは……わかっていない」
うめくように言って、リスターは椅子を立った。
見上げるアーサーの腕を素早く掴み、引き寄せる。
ガタンと大きな音を立てて椅子が倒れたその横にアーサーの躰を引き倒すと、リスターは上から押さえ込んだ。
そのまま荒々しく唇を合わせる。
瞬間的にアーサーの躰が跳ね上がりそうになったが、それを力で押さえつけ、更に深く貪った。
絡める舌が強張っている。その反応にキリリと痛む胸は、彼がアーサーを愛しいと思う故のこと。力で、暴力で支配する空しさは知っている。それを繰り返し、そして徹底的な憎悪を得るしかないのだ。
リスターのために自らを犠牲にしようなどと考えるアーサーに、それがいかに受け入れ難いことであるかを知らしめる。アーサーを守るには、もうそれしかないだろう。
おそらくこれは最後の口づけ…そう思ったリスターは、不意に驚きに目を見開いた。
アーサーが、リスターの口づけに応えたのである。
絡み合う舌が甘い痺れを生み出す。リスターの腕を掴んでいたアーサーの手がゆっくりと彼の首に回され、その指が髪に絡んだ。そして、強張りが消えた躰が示す許容。
深く、浅く、何度か結び直しながら口づけは続いた。洩れる吐息さえ逃したくなく唇を合わせ貪る。
「―――っ…ん……」
苦しげに洩れた声にリスターがようやく我に返った時には、二人とも相当に息が上がっていた。
「………愚問だったな」
肩で息をしながら、それでもアーサーが笑ってそう言う。
「……え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。それほどに頭が霞んでいる。
「おまえに、私が欲しくないかと訊いたことだよ。今のキスでよくわかった」
ぺろりと舌先で唇を舐める仕草に、リスターは顔を赤らめた。
「ところで、続きはここではなしだぞ。先におまえの乳母殿のところで夕食をご馳走になることになってたろう。それがすんでからだ。最中に呼びにこられてはかなわないし、おまえも旅の汚れは落としたいだろう」
「…アーサー?」
もう何度目かもしれない茫然とした声でその名を呼ぶ。
彼は…一体何を言っているのだろう。
これは本当に現実なんだろうか。
「おまえ……」
「今更正気かどうかなんて訊くなよ? 何度問われても、私の答えは同じだ」
そう言って笑う人に、リスターは眩暈にも似た高揚を感じた。
「……私は、おまえを愛している」
囁いたリスターに、アーサーは頷いた。
「知っている」
「……おまえは?」
そう問いかけると、初めて、アーサーは少し困ったような表情になった。
「その答えを見つけにきた」
「…答えを?」
「私のおまえに対する想い。友として以上に感じるこれが愛と呼ばれるものなのか私にはまだよくわからない。だから、おまえの傍に居させてくれ。その答えを探すために」
―――ただ…アーサーはそう続けた。
「さっきも言った通り、私はおまえを失えない。それだけは確かだ」
その言葉に、リスターはゆっくりと目を閉じた。
初めて会った時から愛していた人。だが一生手に入れることはないと思っていた。この想いが受け入れられるはずはないとあきらめていた。躰だけを卑劣な手段で奪い、それにより傍にいることさえ叶わなくなった。
永遠の片恋のはずだった。
失った痛みと空虚を胸に独り生きていくのだと思っていた。
しかし今、アーサーはリスターの前にいる。
そして言うのだ。
おまえを失えないと―――。
それ以上の何を望むだろう。これからも共に生きる、それが可能なら他のことなどどうでも良いではないか。
「……アーサー」
ゆっくりと、リスターはアーサーの上に覆い被さって彼を見下ろした。
「愛している」
想いのすべてを瞳に込めて、そう囁く。
「……私のものになってくれ」
答えは、リスターの惹かれてやまないアーサーの不敵な笑顔。
「大切にしろよ」
「勿論だ」
言われなくてもと、そう伝えるように、リスターは今度は優しくその唇にキスを落とした。
逆転劇は本にてv
第4話 00.06.22
翌日、二人の朝は遅かった。
湯を使い、用意されていた食事を運んでもらって、食卓につく。どちらも準備はリスターがやった。
当然のことだとアーサーは思っているらしい。
「……大体………」
痛む喉を気遣って、蜂蜜を湯で割り果汁を加えたものを食後に啜りながら、アーサーは文句を言った。
「最初からあんな無茶苦茶するか? 今までおまえがつきあってきたのがそうしたことを生業にする者だったにしても、私は素人だぞ。なのに、するか普通、あそこまで」
「すまない」
低気圧らしいアーサーに逆らうのは得策ではないと十分理解しているのだろう。リスターは素直に謝った。
だがリスターはちゃんと気づいていた。怒ってみせるアーサーが、実は照れているだけなのだと。
まあ確かに、照れも感じるだろう。リスターに抱かれるのは二度目とはいえ、初めての時とは比較にならぬほどアーサーは乱れて我を忘れた。
最後には声を殺すことさえ失念し、快楽を得ることに夢中になった自分の姿は、明るい昼の世界で思い出すにはあまりにも恥ずかしいに違いない。
性格的にかなり奔放だと思っていたアーサーが、ベッドではむしろ潔癖なほど自制を働かせるのだということも昨夜初めて知った。それは新鮮な驚きだった。馴れぬ行為に全身を朱に染めて抗う素振りに、たまらない愛しさと嗜虐を覚えた。
無茶をした自覚はある。リスターは感じたかったのだ。今自分が紛れもなくアーサーを抱いていることを。彼に受け入れられているということを。
「…………リスター」
名を呼ばれ、我に返ったようにアーサーを見遣る。彼は卓に頬杖をついてリスターを見ていた。
「何だ?」
「今後のことを、検討しないと」
「……今後?」
眉を潜めるリスターに、アーサーがため息をつく。
「おまえ、自分が騎士団を出奔してきたことを忘れてないだろうな? それが反逆行為に等しいことも?」
「……ああ」
―――忘れていた。
いや、どうでもいいことのように考えていた。何しろアーサーを解放することしか頭になかったのだ。そのためには騎士団から遠く離れなければならない。戻ることなど論外だった。
しかしこうしてアーサーを得ることができた。ならば今後の方向も転換しなければならないだろう。アーサーにまで副長職を捨てさせるわけにはいかない。
とはいえ……。
「今更、私が騎士団に戻ることはできまい」
騎士団を捨てた自分が副長職に復帰することはできないだろう。いや、エンブレムさえ放棄した身はもはや騎士とも言えない。戻れば反逆騎士として縛されるだけだ。
それは避けたかった。アーサーと過ごす時間が奪われてしまう。
「密かにロックアックスに戻り身を潜めるにしても…」
「無理だろうな、それは」
あっさりとアーサーは言った。
「顔が知られすぎている」
そうなのだ、青騎士団副長リスターをロックアックスで知らぬ者はないだろう。
「それに私も、空手で戻るのは避けたいし」
「では、どうすると?」
アーサーはリスターを捕縛に来たと言った。愛し合った相手を、失えないと言ったリスターを、彼は官吏の手に渡すのだろうか。
「面倒だからうっちゃろう」
「……………は?」
アーサーが何を言ったのか、とっさにリスターは理解できなかった。
「だから、このまま忘れてしまおう。その方が気楽だ」
「アーサー? それは一体…」
どういう意味かと問うリスターに、その親友はにっと笑った。
「私も騎士団を抜ける」
「な…」
あっさりと告げられた言葉に、リスターは茫然とした。
「……アーサー? おまえ……自分が何を言っているのかわかってるのか?」
「無論だ」
どこまでもアーサーは気楽だ。リスターは頭を抱えたくなった。
「おまえは、赤騎士団副長だぞ? その誇りと責任を…」
「先に捨てたのは誰だ?」
そう言われてしまえば、返す言葉もない。
「私のために、おまえはそれをした」
確かにそうだ。だが…。
「同じことを私がして何が悪い?」
言って、アーサーはカップを傾けた。白い喉がこくりと動くのを、夢のような心地でリスターは眺める。
このままいけばアーサーは間違いなく史上最年少の赤騎士団長となるだろう。それがリスターにはわかる。それだけの栄誉を、得るだろう賞賛と輝く未来を、彼は捨て去るというのか。
リスターのために?
「アーサー、それはだめだ。そんなことをしたらおまえは…」
かならず後悔する…。
「馬鹿者」
カップを置いて、アーサーは軽い口調で言った。
「やる前から後ろ向きな発言をするんじゃない」
そしてその手がリスターに向けてのばされ、
「後悔させない。……それくらいのことを言えないのか?」
そっと、思いがけない優しさで彼はリスターの髪に触れた。
「アーサー」
「言えよ、リスター。私を後悔させないと」
迷いのない瞳。
おそらくアーサーはこれから先、何があろうと自分の選んだ道に後悔などしないだろう。それは彼の気性に似つかわしくない。
しかし、絶望や渇望を抱き、それを振り払うように前を向くのではなく、幸福と希望を友に進むことができれば、それに越したことはないだろう。
自分の存在が、アーサーにそんな未来を与えられるのであれば、これほどの至福があるだろうか。
リスターと在ることに、アーサーが幸福を得てくれれば。
「……誓う」
真摯な想いで、リスターは力強く誓約した。
「絶対におまえに後悔はさせない」
「忘れるな、リスター」
そんな彼に、アーサーは言った。
「私は赤騎士団を捨てたんじゃない。おまえを選んだ、それだけのことだ」
「アーサー」
「……手紙を書かないとな」
アーサーは穏やかな口調でそう言った。
決着をつけなければ。
二人のこれからのために。
サイトアップはここまでです。平和に終わってるようですが、実はこのあとに修羅場的展開あり(笑) |