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それもまた彼らの日常

00.05.09




 マイクロトフは青騎士団に戻った。
 カミューの予想通り、皆に可愛がられながら、彼は日々剣の稽古に明け暮れている。元々剣術は好きだし、その上カミューに「期待している」との言葉をもらっていたマイクロトフが張り切らないはずはない。そんなわけで、彼は毎日くたくたになるまで稽古を続け、二六歳であった時のレベルまで己の剣技を引き上げようと必死になっていた。
 それでも、夜になるとカミューを抱きしめようとするその体力と執着には赤騎士団長も驚いてしまった。
「だめだよ」
 しかし、カミューはやんわりとそれを拒絶する。
「カミュー」
「今は訓練に集中しなさい。バッカスに合格点をもらえたら、その時は相手をしてやるから」
 現在マイクロトフの指南役となっている青騎士隊長の名を出すと、マイクロトフはむっとしたように口を尖らせた。
「ちゃんと昼間は訓練に集中している。でも今は…」
 大きな、そして強い力を持つマイクロトフの手が、そっと、壊れ物を扱うかのような繊細な動きでカミューの頬に触れる。
 優しく、愛しげに輪郭をなぞる指。その感触に心地よさを感じていると、
「今は、カミューに集中したい」
 恥ずかしげもなく告げられた言葉に、カミューの方が赤くなりそうだった。
「……カミュー」
「あ…こら、だからだめだって…」
 今更抵抗したところで無駄である。腕に抱き込まれ、新たに記憶させられた、ぎこちなくも熱い口づけをされてしまうと、カミューにももう抗う力が生まれなかった。
 何だかんだ言って、カミューもまた年下の恋人にべた惚れであったから。
 そんな日々が四日も続いたろうか。元々が優れた才を持つマイクロトフは、バッカスから戦闘参加の許可をもらえるほどに剣を上達させた。いや、周囲に言わせれば、そこそこのレベルまで戻ったということになるのだが、喜ぶかと思った彼は、なぜか逆に暗い雰囲気を纏ってしまった。
「―――すごいじゃないか、マイクロトフ」
 バッカスから報告を受け、部屋に戻ったカミューがそう誉めた時にも、彼はどんよりとしていた。
「たった四日で課題をクリアするとは思わなかった。さすがだよ」
 ベッドに腰を下ろしたマイクロトフの傍らに同じように座ったカミューは、くしゃりと彼の髪を掴んで、ついでに頭を撫でてやった。
「これでイクスビィターと戦える。元に戻れるぞ」
「………」
「…マイクロトフ?」
 少年が先刻よりずっと黙ったままなのに気づいて、カミューはマイクロトフの顔を覗き込んだ。
「どうした、マイクロトフ?」
「……じゃない」
 視線を逸らしたまま、マイクロトフは押し出すように言葉を口にした。
「え?」
「元に戻るんじゃ…ない」
「………マイクロトフ?」
 マイクロトフが何を言っているのか、それがわからずカミューは眉を潜めた。そんな彼を、漆黒の瞳がきつく睨んでくる。
「戻るんじゃないっ。俺は…だって俺は―――!」
「マ……」
 そのまま抱きつかれ、カミューは勢いを殺しきれずにベッドに倒れ込んだ。
 腰を跨ぎ、カミューの腕を両手で拘束したまま、マイクロトフは歯を食いしばっている。怒っているような、それでいて泣き出しそうな彼の表情に、カミューは戸惑った。
「…マイクロトフ、どうしたんだ?」
 自由を奪われたまま、それでもカミューは優しく問いかけた。力で押さえつけられることへの怒り、まして恐怖などという感情は湧いてこない。ただ、心を激しく揺らしているらしい少年のことが気になった。
「マイクロトフ?」
「俺は…だって……消えるんだ」
 苦しそうに顔を歪めて吐き出された言葉に、カミューは大きく目を見開いた。
 ああ…そういうことかと吐息する。
「……マイクロトフ」
 名を呼ぶと、マイクロトフはその漆黒の瞳を揺らしながらカミューにしがみついてきた。
 自分より大きな躰が微かに震えていることに気づいて、カミューもまた胸に痛みを感じた。
 そうだった。なぜそのことに気づかなかったのか。自分の都合ばかりでことを進めようとしていたことを反省する。
 マイクロトフが二六歳に戻るということは、今ここにいる十七歳のマイクロトフが消えるということ。彼がそう感じ、自らが消えることに恐怖を覚えても不思議ではない。
 そう、周囲にとっては、二十六歳のマイクロトフの肉体に、その記憶が戻ってくるのは当然のことである。だが今現在十七歳のマイクロトフにとっては、自分の意識が、記憶が消滅するということなのだ。今の自分がイレギュラーなのだと知りつつも、簡単に割り切れることではないだろう。
 それでも。
「……そんな風に言わないでくれ、マイクロトフ」
 そっとマイクロトフの背に手を回し、カミューは囁いた。
「消えるなんて、そんな悲しいことを…言わないでくれ」
 マイクロトフの言葉を繰り返すだけで、焦燥感に襲われる。カミューはそのまま、強くマイクロトフを抱きしめた。
「……カミュー?」
 そんな彼の様子に、かえってマイクロトフの方が驚いたようだった。腕に抱き込んだ年上の愛しい人の顔を覗き込む。
「消えるんじゃない。そうじゃない、マイクロトフ。…そうじゃないんだ」
 自分に言いきかせるかのように、カミューは呟く。
「おまえは、消えてしまうわけじゃない」
「カミューにとってはそうかもしれない。でも俺は…」
「マイクロトフ」
 かぶりを振り、カミューはマイクロトフの手を外させると上体を起こした。
 そして、そっと、怯える少年の頬に手をのばす。
「おまえは、マイクロトフの一部だ。そして、二十六歳のマイクロトフも、マイクロトフの一部だと言える。それぞれの記憶、意識は、決して単独じゃない。つながり合って絡み合って、マイクロトフを作り上げている。今回、たまたま十七歳の部分で切り取られたけれど、それでもやはりおまえがマイクロトフであることに変わりはない」
「……でも」
「聞いてくれ」
 顔を寄せ、瞳を覗き込む。
「イクスビィターの攻撃を受けた場合、記憶をなくしているあいだのことも、ちゃんと覚えているんだ。だからおまえは消えない。十七歳のおまえは、ただマイクロトフの中に戻るだけだ。今こうして会話していることも、おまえはちゃんと覚えていられる」
「でも…」
 マイクロトフの言いたいことはわかる気がした。
 それでも、たとえ覚えていたとしても、今現在のマイクロトフの意識がそのまま残るわけではない。
「…怖いか、マイクロトフ?」
 問いかけると、マイクロトフは素直にそれに頷いた。
「カミューを…なくすかもしれないことが…怖い」
 返された答えに、カミューは目を見開いた。
「私をなくす? …なぜそんな風に考える?」
「だって…二六歳の俺が、どんな風にカミューを愛していたか、今の俺にはわからない。それが今の俺と違う想いだったら、俺はカミューを失うことになるだろう?」
「そんなことはない」
 ――ないと信じているよと、カミューは微笑った。
「だって、マイクロトフ。二六歳のおまえも、十七歳のおまえも、私をまっすぐに見つめてくれる瞳に変わりはないからね。同じ想いを、愛情を私に抱いてくれていると私は思っているよ。そして私も…マイクロトフ、おまえを愛している」
 どんなおまえでも、変わりなく…。
「……カミュー」
 茫然と名を呼ぶ恋人の額にキスをする。
「ただね、私はおまえに今のままでいてほしくないと思っているんだ」
「…え?」
「だっておまえは、十八歳から現在までの私の記憶を持っていないだろう?」
 問われて、マイクロトフは息を飲んだ。
「おまえがこれから体験するはずの九年間、その中には多くの出来事と想いが詰まっている。私にとってはかけがいのないおまえとの思い出だ。私はおまえにそれを知ってほしい。ぜひとも私と共有してほしい。現在の私をではなく、本来おまえの傍らに在るはずの、一つだけ年上の私と生きてほしい」
「……カミュー」
「戻ってくれ、二六歳のおまえに。私の知る…私を知るおまえにどうか…」
「カミュー」
 マイクロトフの声が微かに震えた。
 彼は唇を噛みしめ、そして小さく頷いた。
「知れば…絶対、今以上にカミューを好きになる。そんな気がする」
「…マイクロトフ」
「だから…俺……」
 それ以上は言葉にならず、マイクロトフはふたたびカミューを抱きしめた。それに逆らうことなく、カミューもまた愛する者の背に腕を回す。
 今度は、マイクロトフは震えていなかった。
 葛藤は消えないだろう。それでも、マイクロトフは戻ることを決意してくれた。
 きっと、カミューのために。カミューがそれを望んだから。
「……マイクロトフ」
 自分勝手だと、そう思いながらも、カミューはマイクロトフの決意に感謝した。
 愛されること。
 それは変わらない。二六歳でも十七歳でも、それは間違いなくマイクロトフ自身であるのだから。
 そう思っていても、やはり求めてしまう。カミューと共に在ったマイクロトフを。同じ時間を生きた彼を。
 詫びる言葉を口にしてはいけない。それはマイクロトフの望むものではないだろう。だからカミューは代わりに、自ら伸び上がるようにして彼に口づけた。
「カミュー」
 それを受け取り、そして更なる激しさで返しながら、マイクロトフ少年は強くカミューを抱きしめた。
 深く唇を合わせ、呼吸さえ忘れたように互いを貪る。
 ―――これが最後。
 その意識が、おそらくどちらにもあった。
 マイクロトフの手が性急にカミューの礼服を開いていく。深紅の衣から覗く白い胸元にむしゃぶりつくように唇を落とし、薄い胸の奥から響く鼓動を感じ取ろうとするように顔を摺り寄せる。
 愛撫というより幼な子が母親に縋ろうとしているかのようだと、そんなことを思いつつ、カミューもまたマイクロトフの服に手をかけ、肌を外気に晒させた。
 そして覚えているままのたくましい首に腕を絡め、引き寄せる。
「……マイクロトフ」
 名を呼ぶと、マイクロトフは顔を上げた。その必死の眼差しに笑みを返し、額を合わせる。
 近い瞳をじっと見つめながら、カミューは囁いた。
「愛しているよ、ずっと変わらず、おまえのことを」
「………カミュー」
 唇を微かに震わせながら名を呼んで、マイクロトフは小さく頷き、滑らかな頬をカミューの頬に摺り寄せた。
「忘れない。…絶対に、今の気持ちを忘れない」
「…ああ」
「カミューのこと、この二週間のこと、十七歳の俺が感じたこと全部、俺はちゃんと二六歳の時まで持って帰る。そしてカミューに言うんだ」
「…私に?」
 問いかけると、真剣な漆黒の瞳が見下ろしてきた。
「俺も、いつ、どんな状態でも、変わらずにカミューのことが好きだって」
「………マイクロトフ」
 きっぱりと言い切ったマイクロトフは、しかしそこでくしゃりと顔を歪めた。
「カミュー……カミュー」
 縋りついてくる腕。
 苦しいほどの抱擁に、カミューはたまらない愛しさを感じ、同じようにマイクロトフの背を抱きしめ返した。
「好きだ…好きだ、カミュー。カミューが好きだ」
「…うん」
 なだめるように髪を撫でる。
「カミューが好きだ」
「わかっているよ、マイクロトフ」
「―――離れたくないっ」
「………っ」
 心からの叫びに、カミューは返す言葉を見つけられなかった。
 戻らなくていいと、今のままでいいと、カミューには言うことができない。今、同盟軍は、そしてカミュー自身もまた、二六歳の、青騎士団長としてのマイクロトフを必要としているのだから。
 だがそれは、このひたむきな少年を犠牲にすることでしかないのだろうか。それを思うと、カミューもまた狂おしい思いに囚われる。
「…マイクロトフ」
 どうしていいかわからないまま呼びかけると、マイクロトフは荒れた息を一つつき、それで心を落ち着けたらしい。
「…ごめん、カミューを困らせるつもりじゃなかったんだ」
 微かな笑みを浮かべる顔は、なぜか少年の幼さを失っていた。その強い瞳の輝きはそのままに、しかしカミューを気遣うマイクロトフは、常にカミューと共に在った親友の面差しを持っている。
「大丈夫。明日、ちゃんとイクスビィターと戦う。そして…戻るよ。ちゃんと、二六歳の俺に、カミューを返すから」
「マイクロトフ…」
「でも今は…」
 ―――カミューは俺だけのものだと、そう力強く宣言し、マイクロトフ少年はふたたびカミューに口づけた。
 その想いに応えようと、カミューもまたマイクロトフの背に両の腕を滑らせた。


 この状況が本意なのか不本意なのか、カミューにもよくわからない。
 愛する者と交わす行為に快楽を得ることは悪いことではないだろう。しかし相手が十も年下の少年であることを思うと、ここまで自分が翻弄されて良いものだろうかとやや不安を感じてしまう。
 たとえ記憶は十七歳とはいえ、躰は二六歳の、馴れ親しんだ恋人のものであるのだからと、そう自分に言い聞かせながらも、二六歳の彼はこんなことはしなかったよなぁと、むしろ以前より積極的なマイクロトフに動揺を隠せない。
 そう、マイクロトフは非常に熱心だった。元々、決して器用な方ではないし、最初にカミューを抱きしめた時だって、ほとんど暴走というに等しい状態で散々カミューの躰を傷つけてくれた。そのあとも、回を重ねるごとに馴れてはいったが、やはりほとんどカミューが主導権を握っていたに等しい。
 十七歳のマイクロトフも、最初はカミューの言葉に従っていたのだが、探求心の強い彼は、その内自分でカミューを快楽に導くための手段を考え始めた。それは結果的にカミュー自身でさえ知らなかった弱いポイントを少年に知らしめることとなり、以来カミューは抱き合うたびに瀕死状態に追い込まれている。
 それは最後の夜でも変わらなかった。
「こ…こら、そんなところを…」
 足先から移動してきた唇が膝の裏に吸いつき、軽く舐め上げられて思わず脚が跳ね上がる。その反応に羞恥を感じて抗議すれば、
「あ、ごめん。こっちの方が良かった?」
「そ、そうじゃなくて………あっ―――」
 内股に移動した唇にいっそう深刻な状態に陥り、カミューは真っ赤になった顔と艶めいた声を隠すために両腕で顔を覆った。
「マイクロトフ…だから、だめだって…それはしちゃいけないって……こらっっ」
「でもカミュー…」
 カミューの下肢から顔を上げ、マイクロトフは悪戯っ子のような表情で笑う。
「気持ちいいだろ?」
「―――っ」
 無邪気に問われ、盛大に顔を赤くしたまま声を詰まらせたカミューは、この時ちょっと嫌なことを考えてしまった。
 イクスビィターの攻撃の場合、記憶がないあいだのこともちゃんと覚えている。カミュー自身が経験し、マイクロトフにも何度も言ったことだ。
 つまりは、このマイクロトフもまた、元に戻ったマイクロトフの内に残るということだ。
 そしてマイクロトフにさんざ溺れさせられたカミューのことも、彼はしっかり覚えているということになる。
 きっと…いや、間違いなく、二六歳に戻ったマイクロトフは、十七歳時に積んだ経験をその後に活かそうとするだろう。初めて知ったカミューの弱点も、有効的に利用しようとするはずだ。
 それを思うと、今から眩暈がしてくる。
(……最悪だ)
 思わず力が抜けてしまったところに、突然、マイクロトフが覆い被さってきた。
「カミュー、ちゃんと俺に集中して」
「……あ、ああ」
「最後の夜なんだから」
 先刻までの深刻さとはまるで違う、うっとりと甘い響きの声に危機感が更に募った。
 最後だからと…一体何をする気だおまえ?
 おまえにとっては最後でも、二六歳のマイクロトフはそれをしっかり覚えているし、奴にとってはこれからもあるんだぞ?
「マ…マイクロトフ、ちょっと、ま…」
 引き攣るように待ったをかけようとした時には、すでに手遅れだった。一体どこからそんな知識を仕入れたのか、思い残すことのないようにとばかりに、マイクロトフはカミューをいいように翻弄し、そして満足の眠りについた。
 一方カミューは、自分の身に起きたことの衝撃にクラクラしながら、やはり疲労のため失神に近い状態で眠りに落ちた。
 翌日、計画通りイクスビィターと遭遇し、その際今度はカミューがメモリムフォアの攻撃を受けることになったのは、前日の疲労が大きな要因であったろう。
 そうであったとすれば、赤ん坊状態のカミューが、マイクロトフに対して怯えたことも頷ける。彼は自分をひどい目に遭わせた相手を忘れていなかったということだ。
 つまりは、カミューに怯えられてマイクロトフが落ち込んだことも、結局は自業自得だということになるわけで。
 物事は連鎖している。一つの事柄だけを見ても、真実はわからないものだということかもしれない。



 余談であるが、元に戻ったマイクロトフは、カミューの危惧した通り、積極的に取り戻した恋人を求めてきた。
 しかし、十七歳のマイクロトフ少年にはべた甘だって赤騎士団長は、親友である青騎士団長にはとことんつれない態度を示した。
 理由なんてそんなもの決まってる。恥ずかしいからだ。
 しかしそれに気づけないマイクロトフは、さんざ「差別だ」と文句を言い、結果カミューから更なるお預けを食らわされていた。
 まあ、それもまた、彼ららしい日常の光景だと言えるかもしれない。

うーむ、17青の方が巧いということだろうか…。
17青に余計な知識を伝授したのはビクトールあたりと推察されます。
しかし、もしうちの同盟軍に某邪カルテットのような集団が存在し、
彼女らが青にそれを教え込んだのだとしたら……赤さん、相当
ひどい目に遭ったことでしょうね(笑)←笑い事じゃない