逆鱗



9(02.07.27)





 このままじゃまずい。
 昼食にも顔を出さなかったゾロに、サンジは深刻にそれを思った。
 こうなるともう決定的だ。ゾロは完璧、自分自身を責めている。
 そうであって当然だ。それだけのことをされたとサンジも思ったし、ゾロも当然そう思ってしまったことだろう。
 しかし、はっきり言ってサンジはもうそんなことはどうでも良かった。
 どうでもよくなってしまった。
 昨夜のことより、今日になってからの自分の反応で、本当にもうそんなことはどうでも良くなってしまったのだ。
 なので、サンジはゾロを探した。
 格納庫にも男部屋にもいない。風呂場でもないし、勿論ラウンジでもない。となればミカン畑か見張り台だろう。
 そして彼は見張り台にいた。船のてっぺん、一人になるなら確かにここが一番いい。
「うっす」
 そう声をかけて入り込むと、めずらしくも起きていたらしいゾロは露骨に驚いて座ったまま上体を退いた。背中が壁に当たってどんと音を立てる。
「なーに驚いてんだよ、失礼な野郎だな」
 驚く理由はサンジ自身が一番良く知っているんだが、それを隠して言ってみる。
 ゾロは無言だった。
 うーん、怒ってるのか自己嫌悪に陥ってるのか拗ねてるんだかが判別できない。
 そのままゾロの前にしゃがみ込み、彼の目を見る。すると、ゾロは目を逸らすことなくサンジを見返してきた。
 強い目だ。サンジに負けまいとしている。彼のこういう部分は、素直に好きだと思える。
 何しろこいつは魔獣なのだ。世界一の大剣豪を目指す男なのだ。これっくらいの気概を見せてもらわなくては困るというものだ。
 そう思ったら、何だかいきなりへら…と笑ってしまった。
 何と言うんだろう、まっすぐ馬鹿正直に、強くなるために日々を生きているゾロのことが好きなのだということを改めて実感したというか。
 その彼が、サンジのことでぐずぐじ悩むのはあまり見たくはない。
 もしここでゾロがサンジから目を逸らして「すまん」とか謝ってきていたら、サンジの方でもじくりと胸を痛めていたかもしれない。そうならなかったことが嬉しかった。
「……何、笑ってんだ?」
 ゾロがそう訊いてきた。
 彼としても、多分サンジの反応が理解できないのだろう。
 そう思う。
 ごく普通に考えてみても、ここはサンジが怒るべきところで、ゾロは甘んじてそれを受ける立場だ。あるいはサンジが先刻ゾロの前から逃げ出したことを謝りに来たと思ったか。
 どっちにしても、笑うという反応はあり得ないもののはずだった。
 だがそんなごくまっとうな思考と反応をするサンジではないことを、ゾロはいい加減学習するべきである。
「気になるか?」
 そう訊き返すと、ゾロは顔を顰めた。そしてますます目に力を入れてくる。
 この負けず嫌いが。
 それが嬉しいので、サンジは更に晴れやかな笑顔になる。
 あまりにサンジが嬉しそうに笑っているので、ゾロの方でも気になったらしい。くいと顎を退き、やや上目遣いになってサンジを見てきた。
 それはちょっと気に入らない。卑屈に見える。
 なのでサンジは手をのばし、ゾロの顎に手をかけるとそれを引っ張った。
 ゾロほどではないにしろ(何しろ彼は化け物なので)、サンジだっていっぱしの男である。腕力はある。力をこめてそれをしたせいで、ゾロは前のめりにサンジの方に倒れ込んできた。
「昨日の件で、言いたいことがあんなら聞いてやる」
 間近にその緑の目を覗き込んでサンジが言うと、ゾロは一瞬目を眇め、だがそのあときっぱりと言い切った。
「ねえ」
 まるで喧嘩を売るような口調だった。
「ねえのかよ」
 それでいいと、上機嫌で返す。
「むしろそれは俺が言うことだ。…俺に言いてェことあんだろ。ぞれ全部聞く。蹴ってくれてもいい。おまえの考えてること言え」
 そのためにここに来たんだろうと、ゾロはそう言った。
 聡いもんだと思う。それだけサンジのことを考えてくれた結果でもあるだろう。こいつはもういっさい言い訳をする気がないのだ。そしてサンジからの非難をすべて受け取るつもりでいるらしい。
 いい男だなぁと、そう思った。
 こいつ手放したら勿体ないよなぁと。
 手放さないために、自分は認めなくちゃならない。無理矢理受け入れて流してしまうんじゃなくて、臭いものに蓋をして見て見ぬ振りしてしまうんじゃなくて。互いに納得して、そしてその先に進むのだ。
「うし、言ってやる。覚悟決めて聞け」
 視線を逸らさずそう言うと、ゾロのまた目を離さないままこっくりと頷いた。
「てめェはホント、お気楽で考えなしの剣術馬鹿だ」
「………」
「得体の知れねえもん、他人に使いやがって。万が一あれが毒物だったらどうしてくれんだよ、ああ? 俺の死体に縋ってこんなはずじゃなかったって泣いたか? 遅っせえっての」
「………そうだな」
「んな情けねえ理由で俺だって死にたかねえぞ? んなことになったら恨んで呪ったぞ」
「呪ってくれていい。恨んで俺に一生ひっついてくれててもいい」
「アホ。んな根性俺にはねえって」
 苦笑して髪を引っ張る。
「てことで、もう絶対わけわかんねえもんの実験、俺でするな。いいな?」
「わかってる」
 生真面目に頷くゾロは、彼自身充分それを考え反省していたことを伺わせた。
 ならばいい。
 サンジは小さく笑った。
 こいつは本当に、サンジが何を言ってもそのすべてを受け止めるつもりでいるらしい。
 そんなに、俺がいいんだろうかと、そんなことを思う。
 ロロノア・ゾロという男が半端な人間でないことは十分知っているつもりだ。そんな彼がサンジを好きだと言ったからには、とことん彼はそれを貫くつもりなんだろう。
 実際、彼に告白されてから今までのことを振り返ってみても、ゾロはいつだって真剣勝負だ。彼なりにサンジのことを考え、不器用ながら真摯に自分を伝えようとしてくれていた。
 そんなゾロに応えたくて、サンジも同じようにしてきた。そのはずだった。
 照れくさいほどの純情だと、そんなことを考える。
 こいつとだからそれができる。
 恋人と、言い切ってしまうにはまだ自分は身も心も預けられないけど、それでも近くに在りたいと願うのはこの男だけなのだからして。
 だから自分も伝えよう。
 この胸にあること全部。










もうずいぶん前にいただいた感想ですが…気持ち的にはようやくここまできました。あとは躰が気持ちよくなるだけですねv<A.Nさん(笑)







10(02.08.03)






「昨日のことな、実を言うとあんま覚えてねえんだ、俺」
 ゾロと向かい合う形で座り込み、サンジはそう言った。
 狭い見張り台の中で、さらにくっついてそれをしているから、二人の折った足は入れ違いになって部分的にくっついている。
 そんなささやかな接触でさえ、今のサンジにはちょっとたまらない。
 突然そうなった理由は一つなのだが、(いや、きっかけはというべきか)それだけでないものを自分はちゃんと知っているから、それをきちんと伝えよう。
「途中からホント、錯乱状態に近かったし。はっきり言ってわけわかんなくなってた」
「…だろうな」
 表情を引き締めてゾロが言う。その硬さが、そんなサンジを見ていたゾロもまたしんどかったろうことを思わせた。
「多分な、……多分、アレ使われたら、俺、誰が相手でもああなったと思う」
「………」
「そう思うと、かなり自分が嫌になった」
 言った途端、ゾロの顔が歪んだ。
 とっさに開きかけた口が言おうとしたのがどんな言葉かはサンジにはわからない。おまえのせいじゃないとか、悪かったとか、そんなあたりだろうか。
 だがゾロはそれを口にしなかった。ぎりっと音がしそうなほど奥歯を噛みしめて、サンジの言葉を待っている。
 彼は本当に、サンジの考えること全部を聞こうとしているのだろう。
 おし、頑張れ、青少年。気合い入れて最後まで聞けよ。
「悔しいとも思ったし、情けなくもあった。…情けないのはおまえも俺も、両方」
「………」
「でもさ、俺を抱いたのはおまえなんだよな」
 そう言って笑うと、ゾロが大きく目を見開いた。
「どんな仮定言っても意味ねえっての。アレを使って俺を抱いたのは結局他の誰でもなくおまえであって、気が狂いそうなほどの気持ち好さに泣き喚いた俺を見たのも、おまえ一人なんだ」
 どういう意味かと、問いかけたいようにゾロの眉が寄せられる。
「それだけで、ま、いいかって思った」
「……………いいかって…」
 わからない、そう言いたげに途切れた言葉。
「ん、だからな。もしアレ使ったのが、おまえ以外の奴だったら、俺は正気に戻った途端その野郎蹴り殺してる。それはもう間違いねえ事実だ。あるいは、そうだな、逆にアレを相手に使ってそのまま放置するか。…多分気ぃ狂うぞ」
 昨夜は本当に死ぬかと思ったのだ。もしゾロが宥めてくれなければ、今頃どうなっていたかわからない。それほどに強力な薬だった。
「それっくらいの報復措置はする。当たり前だろ、これは」
 だが、ゾロだったからしない。
「わかるか?」
 にっと笑って問いかける。
 ゾロは真剣な表情でその言葉の意味を考えているようだった。
 考えて考えて、そんな都合のいい結論があるわけはないと自分を諫めるように顔を赤くしたままかぶりを振って、それからますます強い瞳でサンジを見た。
 必死にも見えるその目は、自分で考えるだけでは納得できない、サンジ自身の口からそれを聞きたいというゾロの要望を如実に表していた。
「おまえだからしょうがねえって思った。……いや、嘘だな。結局のところ俺も悦んでたんだよ、昨日は」
 だから、正直にそれを言ってやる。 
「おまえだからだ。そのことがわかったから、もういいやって思ったんだ」
「………」
「赦してやるよ、もしおまえがそれ欲しいってんなら、そう言ってやる」
「…サンジ」
「も、怒ってねえ。つーか、正直俺もいたたまれねえんだ、今」
 笑ってそう言うサンジに、ゾロは怪訝そうな顔をした。
「ちょっとな、まだ効果が持続中で。しかもおまえ限定ってあたりが恥ずかしくって仕方ねえってか。…それで結局納得しちまった。しょうがねえんだってこと。……おまえになら、何されてもしょうがねえって」
 そう言って上体を折ると、サンジはゾロの肩に顔を伏せた。
 ゾロの匂いがする。それはサンジにとって好きなものの一つだ。
 こんな風になってしまうのだ。
 こんな風に感じるようになる日が来るなんて、最初の頃からは考えられなかったことだ。
「俺…何かおまえのこと、かなり好きなんだなって、そう思う」
 吐息混じりに呟いた言葉に、ゾロの躰が強張った。




 何でこいつはこうも優しすぎるんだろうと、ゾロは歯がみしたいほどの焦燥を感じる。
 誰に対してもそうなのかもしれないということに、苛立ちを感じる。
 罵ってもらったほうがどれだけ楽だか知れない。罵声と蹴りに耐える方が、今のこの胸にある痛みよりははるかにましだ。
 サンジはゾロを赦している。もう本当に赦してしまっている。怒る気はないのだ。腹に溜め込んだ結果ではなく、自分で昇華してしまった結果なのだということはわかるが、それだけに、彼が一人でそれをしてしまったということに焦りを感じる。
 彼の好意が、優しさが、怖く感じる。
 今までも何度か思ったこと。
 サンジはきっと、ゾロ以外でもそれができる。その優しさ故に、どんな相手でもそれをしてしまうだろう。そうした姿を見るたびに、自分はサンジに相応しくないと思ってしまう。
 おそらく彼には相手がゾロである必要はないのだ。
 今までまともに恋愛をしてこなかったサンジは、初めて直面した事態に、ゾロの強引さに引きずられてここまできた。ゾロの想いに応えようと、そのために真剣に自分の感情にも向き直ってきた。
 その同じことを、ゾロ以外の奴相手でも彼はできるだろう。
 たとえばサンジの大好きな女たち。彼女らはゾロのようにサンジを傷つけない。きっと、もっと上手に立ち回って彼をくるみ込んでやれる。
 あるいは自分以外の男でも。
 そう考えた時、密やかな笑いの波動が伝わってきた。
 何かと思ってその気配を探る。
 相手は簡単に知れた。
 ―――雪走だった。
「……ゾロ?」
 いきなり眉間に皺を刻んで刀を手にしたゾロに、サンジが戸惑うようにその名を呼ぶ。だがゾロはそれどころではなかった。
 今更、すべてを雪走のせいにする気はない。
 その刀に嫉妬したことがきっかけの一つとはいえ、あの瓶を手に入れたのはゾロ自身で、それを使ったのも彼だ。その結果が招いた事態は受け止めるつもりでいる。
 だが、ゾロがサンジの夢に現れた己の刀を不快に思っているのは事実で、それももう抑えておけるものではない。
 八つ当たりかもしれない。
 ぞれでも、このままにはしておけなかった。
「………何が可笑しい?」
 低く低く押し殺した声でゾロが問いかけた。まっすぐに刀に向けられた視線に、それが雪走に対しての問いだと知ったのだろう。サンジは無言のまま身を離した。
 ―――認めるつもりがあるのか?
 雪走はそう問い返してきた。
「ああ?」
 ―――愛し身を他の者に委ねる、それを認めるつもりがあるのかと問うている。
「………」
 ―――何を思い悩んでも、自らを嫌悪して自虐に沈んでも、それでも放す気などないのであろう? ならば考えるだけ無駄なことだ。やめておくがいい。
「…てめェに何がわかるってんだ」
 ―――わからぬ。
 わかりたいとも思わぬし、わかってやる必要性も感じないと雪走は淡々と言った。その突き放した、主を主と思わぬような口振りに、今更ながらこの野郎と思っていると、その刀はこう続けてきた。
 ―――だが、わかることもある。主が我が愛し身をないがしろにして侮辱している…そのことはよくわかる。
「…んだと?」
 俺がサンジをないがしろにして侮辱している?
 意味がわからない。その戸惑いが伝わったのだろう。雪走は更に密やかに笑った。まるでゾロの未熟を嘲笑うように。
 ―――わからぬのなら試してみればいい。
 何を試すのかと問いかけると、雪走はこう言った。
 ―――自分でない方が良いのではないかと、問いかけてみればいい。
 そんなことをすれば、サンジがまた余計な傷を負うのではないかとゾロは思った。だが彼は、雪走にそそのかされるままにそれを口にしていた。
 なぜと、理由は自分でもわからない。
 あるいはサンジに否定してもらいたかったのかもしれない。
 そんなゾロの甘えに対するサンジの返答は。 
 顔面へのマジ蹴り一発だった。






はい、いよいよです…。






11(02.08.08)






 いきなり刀相手に喧嘩腰になったゾロに、それが雪走であったことに、どうやらその刀がまたゾロに機嫌を損ねることを言ったらしいと知った。
 なのでおとなしく身を退く。
 サンジには刀の声を聞くなんてできないので、見物に回ることにしたのだ。
 険悪な形相で刀とやりとりをするゾロの様子に、まったくもって漫才みたいだよなと、わりとのんきな気分だった。
 しかし、雪走と二言三言言葉を交わしたあと、いきなりゾロは黙り込んだ。そしてなぜか徐にサンジを見て。
 そして言ったのだ。
「…俺なんかじゃねえ方が、おまえは楽なんだろうな」
 どういった意味合いで言われたことかはすぐにわかった。
 その内容に、サンジののほほん気分は瞬時に吹き飛んだのだ。
 一気に内圧が上がった。
 そして、気がついた時にはゾロの顔面に蹴りを食らわせて見張り台を飛び出していた。
(信っじらんねえっ)
 昨日薬を使われたことに怒りを感じた、そんなことがまるっきり笑い事だったかのように、サンジの内面は荒れ狂っていた。
 赦す赦さないとか、もうそんなレベルの話ではない。
 ゾロは言ってはならない一言を口にしてしまったのだ。
 サンジが今までしてきたいっさいを、二人の関係のすべてを否定するような、そんな致命的な言葉を口にした。
 ゾロでなくて。他の誰で、自分がここまで感情ぐちゃらまにすると思うのだ。
 確かにゾロ以外の奴が相手なら、自分はもっと楽できたかもしれない。だがそんな仮定にどんな意味がある? サンジが選んだのはゾロなのだ。それ以外の誰でもないのだ。
 それともその選択が誤りだったと、だからなかったことにした方がいいと、そう言うつもりでいるのか?
 今までのことを、そんな一言でリセットできると思っているのか?
 そうするつもりでいるのか?
 それはあってはならない言葉だ。
 どんなに苦しくても、どんなに腹の底に溜め込んでも、絶対に相手に言ってしまってはいけない言葉だったのだ。
 ゾロのサンジに対する想いは所詮そんな程度でしかなかったと、サンジにそう判断されてもゾロは文句を言えない、それだけの言葉だ。
 ゾロは一人土俵から下りようとした。
 サンジを置き去りにして、逃げ出そうとしたのだ。
 ゾロのすることなら多分どんなことでも「しゃあねえな」で受け入れてしまうと思った。それはゾロが彼なりに必死になっていることを知っていたからだ。
 だがこの件は認めることはできない。
 サンジを無視して、自分勝手にいっさいの責任を放棄するようなことを、受け流してしまえるはずがない。
「―――サンジっ」
 自分がしてしまったことがどういう意味を持つのか知っているのだろうか。顔面蹴りにも気絶に追い込まれなかったらしい男が、見張り台から顔を出して叫んだ。
 それだけで怒りが増長される。
「てめェ、死ねっ」
 そう怒鳴り返してラウンジに駆け込む。
 息が荒いのが自分でもわかる。
 ありがたいことに、いまだ躰の内にくすぶっていた熱はまったく別のものにすり替わっていた。
 怒り。ただ激しい怒りだけがサンジの内を満たしている。悔しさや情けなさといった些末なものは感じない。そんな余裕は心のどこにもなかった。
 触れてはならぬ部分を、ゾロはあまりにも無頓着に引っ掻いたのである。
 もし追いかけてきたらぶっ殺す。そう決意した次の瞬間にはドアが開いていて、サンジは喜々として決意を行動に移した。
 ゾロは外に吹っ飛ばされ、甲板に落っこちたらしい音が聞こえてきた。
 このまま下りていってとどめさしてやる。荒れ狂う感情をどうにもできなくてサンジはふたたびラウンジの外に出て、甲板に大の字になっているゾロの真上に飛び下りた。
 間一髪、ゾロがそれをよける。
「てめェ、逃げんじゃねえっ」
「…いや、さすがにあの高さから蹴り食らったら死ぬ」
「死ねよ、おとなしく」
 すげなく言ってやると、その表情が微妙に揺れる。
「…怒ってるな」
「喜んでるように見えるか?」
「………いや」
 そう答えながら、だがゾロはなぜか嬉しそうに見えるのだ。
 何なんだ、この野郎。俺を怒らせて楽しんでるのか?
 猛烈に腹が立って、ゾロの顔面に踵をめり込ませてやろうと足を持ち上げる。
 マッハで下ろされた足は、しかしゾロの刀に防がれていた。
「…の野郎っ」
 そこから連続蹴り。ゾロはそれを防ぎつつ、時に攻撃に転じてきた。
 上等だ、この野郎、やる気かとサンジも応戦し。
 気がつくと頭真っ白にして喧嘩に没頭していた。





 よもや蹴られるとは思ってなかった。
 衝撃にしばし茫然として、そのあと見張り台から身を乗り出して制止の声をかけようとしたら、サンジは眉をつり上げてゾロを睨んできた。
「てめェ、死ねっ」
 叩きつけられた言葉。その声の荒さと内容に、サンジの怒りが表れている。
 一体どういうことなのか、ゾロにはわからなかった。
 サンジのことだから、ゾロが自らを卑下するようなことを言ったら、笑ってそれを否定して宥めてくれるのではないかと思った。
 あるいは傷ついた表情を見せるか。
 そのどちらでもなかった。
 サンジは怒っている。ここ最近見せなかった、瞬間的な激発。生の感情。
 ―――わからぬか?
 不意に雪走が言った。
 ―――まだ、主にはわからぬのか?
「わかんねえよっ」
 叫んで、その刀共々三本の刀をひっつかんでラウンジを目指す。
 雪走が何を伝えようとしているかはわからなかったが、このままサンジを放置しておいてはいけないということだけは何となし本能で感じた。
 追いかけた先で、ふたたびその蹴りに吹っ飛ばされる。
 甲板に背中から落ちながら、この蹴りを食らうのはずいぶん久しぶりだなと思った。
 思ったら、何だか嬉しくなった。
 サンジはすぐさまゾロを追いかけてきて、次々攻撃を食らわせてくる。それをかわしながら、ますます楽しくなってきた。
 サンジは怒っている。これ以上ないほど本気で。
 その剥き出しの感情をゾロに晒している。
 勿論、今までだって彼はそれをしてきたのだろうと思う。だが今ほど自分をコントロールできなくなっている姿を晒して見せたのは本当に久しぶりだ。
 こうした感情のやりとりがしたかったのだ。
 だからゾロは嬉しくて、久しぶりの喧嘩を目一杯楽しんでしまったのである。








楽しんでる場合じゃないです、ロロノアさん。







12(02.08.15)





「………上等だ、クソ野郎」
 どれくらい甲板でじゃれ合っていたか(ゾロの感覚ではそうだった)不意にサンジが動きを止めてそう言った。
「てめェがそういうつもりなら、かまわねえさ、なかったことにしてやる」
 そう続けられて、だが言葉の意味が理解できなかった。
 途中から純粋に喧嘩を楽しんでしまって、ついどういった展開からこの状況を迎えたかを忘れてしまっていたのだ。
 えーと、待てよ。そういや俺、こいつ怒らせちまったんだな。何でだっけ?
 しばし考え、「それ」を思い出した途端、ゾロは青くなった。
「サンジっ」
 慌ててその腕を掴もうと手をのばす。
 自分でない方がいいのではないか。ゾロはそう言ったのだ。そしてサンジがそれに答えた。なかったことにしてやると。その意味するところは一つだ。
「ちょっと待て、サンジ」
「うるせえっ。それがお望みなんだろ? 叶えてやろうって言ってんじゃねえか、放せ」
「や、そうじゃねえ。俺は…てか、おい雪走っ」
 思わず刀に向けて絶叫してしまう。
「てめェ、どうしてくれんだよ、おいっ」
 ―――我は知らぬ。
 雪走は無情にもそう返す。
 ―――いまだ理解できぬ主が悪い。
「俺のせいにする気かっ」
 切れかけて叫んだゾロの手をはね除け、サンジはゾロを睨んだ。
 冷え冷えとした視線だった。
「てめェとはもう無関係だ。もう俺に関わんな。むかつくから声もかけんな」
「サンジ」
「今言ったばっかだろうが。気安く俺の名前呼ぶんじゃねえ」
「サ…」
「あばよ、ロロノア」
 醒めた声でそう言って、サンジは踵を返した。
 とてもじゃないが、話を聞いてもらえる雰囲気ではなかった。
 ゾロはサンジの背にのばしかけた手をそのままに、その場で冷え固まっていた。









 夢を見た。
 いつもの夢だ。
 あの男がいる。
「気持ちは晴れたか?」
 ゆったりと笑って問いかける男に、サンジは実に晴れやかに笑った。
「おう、すっきりしたぜ」
 先刻ゾロに見せた怒りが嘘のような、満面の笑みだった。
 もしゾロが今のサンジの顔を見たら驚愕することだろう。
「ひっさびさに喧嘩したらすんげえすかっとした。やっぱあれだな、溜め込むのはよくねえんだな」
 そんなつもりはないままに、だが鬱屈はしていたらしい。それが吹き飛んだ。そしてどうやらそのまますとんと眠りに落ちていたらしい。
「それは良かった」
 男はやはり笑みながら返す。
 すべてを知っているらしい(サンジが夢の中に作り出した存在なのだから当然だろう)男に、余計な説明はいらない。サンジはその前に座り込んで膝を抱えた。
「勿論、あの野郎が言ったことは簡単に赦せることじゃないぜ。だからこそ俺もマジ切れしたんだし。でもよ、何だかあれ、雪走にそそのかされて言ったことだったらしいし」
 サンジがそう言うと、男が更に微笑を深めた。
「途中で何かそれ、わかったんだよな。…不思議とさ。まあ、どんな理由があったにしろ、ゾロがそれを口にしたのは事実だし、あいつの性格からして、自分の言葉でなかったら、いくら「言え」って言われても言わないだろうと思う。だからゾロがああいうこと考えてたのは確かだろうし、いくらそそのかされたからって、実際言っちまったからにはもうあの野郎の責任だ。雪走責めてどうなるもんでもねえ」
「そなたはそう考えるか」
「おう。…でも、ま…そういうこと考えて当たり前だと思うんだよな。俺だってもう何回も同じこと考えた。こいつには俺じゃねえ方がいいんじゃねえのかって」
「そうなのか?」
「考えるさ。だってよ、どう見ても、俺とのことで苦労してるのはあいつの方だぜ? ま、それでいいって言ったのはあの野郎だけど、よくもまあ我慢してるもんだとつくづく感心してる。いくら自分から告白してきたにしてもさ」
 へへ…と笑う。
 その笑みが、微妙に成分を変えた。
「……いい加減愛想尽かされても仕方ねえってくらい、我慢させてるし、我が儘してる。わかってんだ、そのことは。だからさ、もし…あの野郎が疲れたって言ったら、もうしんどいからやめようって言ったら、それはそれでしゃあねえなって、思うんだよ、俺」
「………」
「でもあの野郎、違うんだ。自分が俺に相応しくねえって、そんな言い方するんだぜ? ふざけんなってんだよ。何で、てめェがそれ決めんだよ。俺にとってのてめェの価値は俺自身が決めるんだ。しんどいのが何だ、そんなの最初からわかってたっての。今更楽してェなんて思ってねえ。舐めんじゃねえってんだ。生半可な覚悟じゃなかったんだぜ、俺だって」
 気分は晴れたはずだった。だがこうして口にすると、その瞬間の痛みが戻ってきて、つい顔が歪んでしまう。
 そんなサンジの頭に、男がそっと手を置いた。
 幼い子供を慰めるようなその仕種に、しかし憤りを感じられない。
 実際サンジはその手に慰められていた。
「いくらだって考える。そういうこと考えるのはしょうがねえと思う。ただ、それを口にするってのはまったく別のことだ。俺が怒ったのはそっちの方だ」
 優しく髪を撫でる手に身を委ねる。
「それを彼に話したか?」
 男が不意にそれを訊いた。
「…あ?」
「我は言ったはずだ。彼を殺さぬ程度に懲らしめればよいと。それは果たしたようだが」
 顔面蹴りは確かにそう言ってもおかしくない代物だった。頷くサンジに、男は「けしかけたかいがあった」と妙なことを科白を吐いて頷いた。
「それと、もう一つ言ったな? 話をしろと。そなたたちには言葉が足りぬと。…不足した言葉を補ったか?」
「………いや…まだ」
 そのつもりで行ったのに、つい喧嘩になってしまったし。
「それではどうしようもない」
 男はからかうようにそう言う。
「そなたは早く笑顔を取り戻さねばならない。彼も、我もそれを望んでいる。そのためには、すべてを話すことだ。今我に伝えたようなこともすべて」
 男の手が離れた。
 送り出すようにそよいだ手に、サンジは男から遠ざかってしまう。
「おまえ…」
 思わずサンジは呟いていた。
 男が何なのかわからない。本当に謎の存在だ。
「一体何者なんだ?」
 かつても発したサンジの問いに、男は微かに笑んだ。
「そなたを愛する者だ」
 返った答えは、いつかと同じものだった。







雪走はとことんサンジさんの味方ということで(笑)